- PROJECT
SESSIONS - 01
日揮も、個人も、世界も、
成長させていく
日揮でなければつくることができない。それを体現した「PFLNG2」と呼ばれるプロジェクトがあります。日揮としてもはじめての経験となったFLNGの建設。そこに携わった主要メンバー4名が集まり、当時のやりがいなどについて語り合いました。難易度の高いプロジェクトを完工するために必要なことや、そこに生まれた価値をお伝えします。
Members
- 田中(仮名)
-
日揮グローバル株式会社
2008年入社
- 石川(仮名)
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日揮グローバル株式会社
1999年入社
- 佐藤(仮名)
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日揮グローバル株式会社
2018年入社
- 中村(仮名)
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日揮グローバル株式会社
1997年入社
Session.01
圧倒的な規模となるFLNG
- 中村
- このプロジェクトは「ペトロナス」というマレーシア国営石油会社が顧客であり、その頭文字の「P」を取って「PFLNG2」と名付けられています。その前に「PFLNG1」というプロジェクトがあったのですが、それに続くFLNG建造プロジェクトでした。FLNGとは「浮体式LNG生産貯蔵出荷設備」のことで、簡単に言うと「船の上にLNGプラントを建設」するというものです。
- 佐藤
- 世界で3隻目であり、水深1,000mを超える深海ガス田向けのFLNGプラントとしては世界初の事例だったんですよね。私はこのプロジェクトに入った時は後半に差し掛かる頃だったのですが、はじまりはどのような形だったのですか?
- 中村
- はじまりは、日揮を含めた2社の基本設計のコンペティションでした。そこで私たちの見積りが勝ち、そのままEPCの受注となったんです。
- 石川
- 基本設計が2012年の12月で、EPCを契約したのが2014年の3月。そして、2021年の6月に完工したので、トータル9年に渡る長期プロジェクトになりました。これは日揮の中でもかなり長いものになります。
- 田中
- 期間もそうですが、その規模も大きかったですよね。プラントを建設する船は全長333m。ちょうど東京タワーと同じで、幅が64m。これがマレーシア沖130km、深さ1,000m以上のガス田にガスを採取しに行くのですから。コンソーシアムを組んだ韓国のサムスン重工が船を製造し、私たちがその上にプラントを建設していくという役割でした。
- 佐藤
- 私にとってはじめての海外プロジェクトでしたが、その規模には圧倒されてしまいました。
- 石川
- 組み立てるモジュールの重さは、全体で約50,000t。それを浮かせる船が110,000tでしたから、相当に大きいですよね。また、船体の上での設計、船体とのインターフェース管理、造船所(SHI)との協業など、はじめて経験することばかりで、本当にやりがいのあるプロジェクトになったと思います。
Session.02
はじめて尽くしの中、
それぞれの想い
- 中村
- 私は、当初エンジニアリングマネージャーとして遂行開始して、後にプロジェクトマネージャー代理を兼任しましたが、難しかった理由は充分な知見がなかったからですね。当社としても、また邦人企業としても、初のFLNG建造案件で、これまで携わってきた陸上のプラントとは何もかもが違う。そのため、他の近しいプロジェクトを参考にしてトライアンドエラーを繰り返しながら、孤高の冒険家にならぬように内外の意見に耳を傾けることを意識していました。
- 石川
- 私は配管エンジニアとして参加し、プロットプラン (機器配置)の計画、配管のレイアウトを中心としたモジュール設計、それらに関する船体・造船所とのインターフェースマネジメントに取り組みました。白紙の状態からつくり上げていったので、正直、怖いなと思うことが多かったです。ただ、これをうまく遂行させて日揮の新しい得意分野にしたいという、ポジティブな気持ちの方が強かったように思います。
- 佐藤
- 中村さん、石川さんほどのベテランの方にとっても、難易度の高いプロジェクトだったんですね。私は、コンプリーションエンジニアとして参加して、建設中の不具合などを取りまとめて顧客に報告し、確認をもらうという役割を担いました。とにかくできるだけのことを吸収しようとワクワクした気持ちで参加したのですが、確認して了承をもらう項目が3,000以上もあり、想像以上に大変だったことが思い出されます。しかも、私のフェーズが滞ってしまうと次に進むことができずスケジュールに影響が出てしまうというプレッシャーとも常に戦っていました。しかし、様々なことを体験できた上、学ぶことも多くありましたので成長するためのいい経験になったと思います。
- 田中
- 実は、私はこのプロジェクトには自らアサインを要望していました。コミッショニングエンジニアとしてそれまでに海外で6現場を経験してきていたのですが、これまでの駐在と一線を画す状況が想像でき、楽しみな気持ちが強かったですね。コミッショニングはプロジェクトの最終段階を受け持つ職種であり、建設が終了した後、顧客にプラントを受け渡すための試運転作業およびスタートアップ作業が主な役割です。造船所特有のルールや規則に対応しなければならないことや、同時に洋上プラントにおける様々な制約や海事のルールなどがあり、日揮にとってかつてない挑戦的なプロジェクトであったと思います。
Session.03
各個人の戦いが
プロジェクトを前に進めた
- 石川
- 配管設計で特に大変だったのは、設計図面のボリュームでした。合計で6,000枚ほどにもなり、それを半年以上書き続けていました。製作するのも大変ですし、その管理も大変です。さらに少しでも遅れるとスケジュールがずれてしまう。私も、佐藤君と同じプレッシャーを感じていましたよ。
- 田中
- 前のフェーズが終わらなければ、次に進めない。これはEPCの特徴で、みんなそこと戦っていますよね。私のフェーズでは、クーリングウォーターと呼ばれる冷却水をプラント全体に届けるシステムの前処理工程作業に苦労しました。前処理作業の過程で化学薬品の入った廃水が出てくるのですが、陸上の場合なら排水は比較的対処しやすい問題です。しかし、そのシステムが1,800㎥と巨大で、しかも部分的に船内に入っているため排水をするのにも一度甲板まで排水を汲み上げる必要があります。また、甲板に上げた後であっても船上ですから、そこから別の船に排水を受け流すという方法をとったのですが、これもはじめてのことですから多くの時間がかかってしまいました。ですが、これが遅れると後続作業が全て遅れ最終的な出港が遅れてしまうんです。そうなると何億円という損失が出てしまうので、本当に毎日ハラハラとしていましたよ。
- 佐藤
- やはりそれぞれのフェーズで、様々なプレッシャーがあったのですね。私は、COVID-19の影響で日揮エンジニアのマレーシアへの渡航が思うように進まなかった時に焦りました。私も現地に入れたのですが、本来10名でやるべき作業を3、4人でこなさなければならず、自分ができることを考えて、色々なところに問い合わせをしながら、なんとか進めていきました。体力的にも、精神的にも辛かったのですが、みんなで1日1回は集まって、談笑する時間を設けたのは救いになりましたね。そこで絆も深まったと思います。
- 中村
- 海外プロジェクト特有の「カルチャーの違い」も苦労するポイントでしたね。プラントには火災が発生してしまった時のために、消火用の設備を設置しなければならなかったのですが、その配管のルートを韓国のサムスン重工に依頼したんですね。船をつくる側で決めた方が間違いがないと思ったからです。
- 石川
- でも、日揮が決めた設備に責任を負いたくないということで断られたんですよね。
- 中村
- そうなんです。しかも、サムスン重工の責任者にはこちらのやり方が強引に映ってしまったらしく、なかなか話が進まなくなってしまいました。韓国は儒教の国で年上の意見が最も尊重される文化ですから、この責任者の方を動かすことができなければ、若手は作業をしてくれません。ただ、サムスン重工にこちらの言い分を理解してくれる方がいたことが救いでした。その方が、「うちの責任者にはお孫さんがいて、その話をすればきっと喜んでくれる」とアドバイスをしてくれたんです。その通りにしてみると、一気に話が進みました。その国の文化を理解して、受け入れる。これもプロジェクトを進める上での大きなポイントになります。
Session.04
確固たる新しい強みへ
- 田中
- 国の文化もそうですが、造船所には造船所のルールがあったことも特殊でしたよね。しかし、それを一つずつクリアしながら作業することで、このプロジェクトが終わる頃にはすべてを把握できるようになっていました。現在もFLNGのプロジェクトに参加しているのですが、おかげで苦労することはだいぶ少なくなっています。そのように苦労をたくさん乗り越えたからこそ、この船が出港し洋上に出て、360度が海面の現場に到着した時の感動は、ずっと忘れることができないと思います。
- 石川
- 誰も経験したことがなかったことを、白紙の状態からやり遂げた。これは本当にいい経験になったと思います。私は設計のフェーズにしか携わっていませんが、できあがった船を韓国に行って見てきました。そして、「動きました」と方向を受けた時は嬉しかったですよ。私も田中さんと同じように、次のプロジェクトでは配管をどのように考えればいいか、その感覚も確かなものになりました。日揮としても次のFLNGプロジェクトを受注することができていますし、各個人にとっても、会社にとっても、大きな成長をもたらしたものになりました。
- 佐藤
- 私たちがFLNGにおけるトップクラスの技術を持っていると、世界中に知らしめることができましたよね。新しいブランドをつくれたことで、日揮のさらなる成長に寄与できたと思うと嬉しいです。また、私も個人的に大きく成長ができたと思います。はじめの頃、右も左も分からなかった私の言葉に、顧客はなかなか耳を貸してくれませんでしたが、プロジェクトが終わる頃には「君がいてくれてよかった」と言っていただけました。認められた嬉しさで、苦労はすべて報われましたね。壁にぶつかってもあきらめずにやってよかったです。
- 中村
- みなさんのおかげで、このプロジェクトは日揮にとって間違いなく価値のあるものとなりました。この建設が行えるのは、日揮を含めて世界に2社しかありませんから、圧倒的なプレゼンスを示すことができていると思います。実際に同じ顧客の3番目のFLNGの基本設計も行っているところです。足かけ9年、出向の日を迎えられるとは思えないほどに苦労が多かったですが、その分、この船が動いた時の感動はあまりにも大きなものとなりました。残念ながら、私たちが関わっていないガス田の方の設備で不具合が出てしまい、LNGが生産される前に船を降りることになったのですが、その後、船から「LNGの生産が開始された」と連絡をもらった時は、感無量とはこのことかと思えるほど感動しました。マレーシアにとっても歴史的な転換になるような事業になったようです。まさに、世界にも個人にも価値を生み出す、日揮らしい案件となりました。