沿革

1928年

日揮ホールディングス株式会社の前身、日本揮発油株式会社設立

創業者 実吉雅郎
当時の本社

1928年10月25日、東京市麹町区内幸町において設立。
創業者であり初代社長である実吉 雅郎は、当初国内で製油所を建設・運営し、揮発油(ガソリン)・灯油・軽油などの石油製品を販売することを目指していましたが、諸般の事情によりこれを断念。
主にUOP社プロセスのライセンス業を主体に事業を進め、並行して1930年代からエンジニアリング事業を開始しました。日本最初のエンジニアリング会社の誕生です。

1930年代~1950年代

エンジニアリング事業を本格化
触媒製造事業を開始

出光興産徳山製油所

日本の戦後復興と経済成長の波の中で石油精製・石油化学プラントを相次いで受注・建設。
1956年には日本初のグラスルーツ(新設)製油所である出光興産向け徳山製油所新設プロジェクトを受注し短納期で完成。エンジニアリングコントラクターとしての評価を確立しました。日本の高度経済成長の基盤構築に大きく貢献しました。
また、1940年代から触媒製造を開始しました。

1960年代~1970年代

海外市場に活路を求め、事業の多角化に着手

ペルーの製油所建設現場を視察される明仁皇太子殿下(当時)
当社グループ初のLNGプラント建設となったブルネイのLNGプラント

日本国内での豊富な実績を足掛かりに、我が国のプラント輸出の先駆けとなる南米向けの製油所建設プロジェクトなどを相次いで受注し、本格的な海外進出を果たしました。
その後も中国、東南アジア、北アフリカなどへと市場を拡大。
事業の多角化にも着手し、原子力・医薬・病院分野に参入。LNGプラント建設のリーディングカンパニーとしての基礎も築きました。
また、1970年代からは、原子力や環境問題に関するコンサルティングおよびエンジニアリングサービス業務を開始しました。

1980年代~1990年代

世界的エンジニアリング企業の地位確立
EPC遂行のグローバル化を強力に推進

インドネシアの製油所
横浜本社(1997年より)

1985年のプラザ合意に端を発した円高進行によりもたらされたコスト競争力の低下に対応するため、海外拠点作りを強力に推進。世界各地で石油精製・石油化学・LNGなどの大型プロジェクトを連続して受注し、世界有数のエンジニアリングコントラクターとして確固たる地位を占めるに至りました。1997年には、横浜市のみなとみらい地区にワールドオペレーションセンター(横浜本社)を設置しました。
また、1980年代には機能材製造事業の一つとして、ファインセラミックス事業を立ち上げました。

2000年代

世界的な資源開発の進展を背景に業容急拡大

サウジアラビアのガス処理プラント
インドネシアのLNGプラント

1990年代後半の「プラント冬の時代」を経て、2000年代に入り、新興国でのエネルギー需要拡大を背景に原油価格が高騰し、中東湾岸諸国で空前のプラント建設ブームが到来。これにいち早く対応したことにより、当社グループの業績・受注も急速に拡大しました。
90年代後半から続く、天然ガス需要の拡大により、当社グループはLNGプラント、天然ガス処理プラントを相次ぎ受注・建設。LNG分野のトップコントラクターとして地位を確立しました。

2010年代~現在

石油市場の変動に対応。
北米市場、オフショア、インフラ分野に領域拡大

アラブ首長国連邦のガス処理プラント
米国のエチレンプラント

シェール革命により、北米地域が一躍プラント市場として台頭。北米ではLNG、ガスケミカルなどのプロジェクトが数多く実現し、当社グループも北米市場に進出を果たしました。
オフショア分野でも、フローティングLNG分野の草分け的存在として、その確固たるプレゼンスを確立。
インフラ分野では、国内の太陽光発電をはじめとする発電プロジェクトのほか、海外子会社とともに海外インフラ分野の拡大を推進しています。
そして、2019年10月には持株会社体制に移行。海外オイル&ガス、海外インフラ、国内EPC+保全、機能材製造で構成する複数事業から、安定的かつ持続的に成長していく企業グループへと変革していくことを目指しています。